大切なご家族を亡くされ、深い悲しみの中、慣れない葬儀の対応に追われ、心身ともにお疲れのことと存じます。
ようやく葬儀を終えてご自宅に戻る際、ふと「そういえば、お清めの塩ってどうするんだろう?」「そもそも、身内である自分たちも塩で清める必要があるのだろうか?」と、新たな疑問が湧いてきたのではないでしょうか。
一般の会葬者と同じように塩を使うべきなのか、それとも何か違う作法があるのか。些細なことかもしれませんが、故人を思うからこそ、作法の一つひとつを疎かにしたくない、というお気持ちはとても尊いものです。そのお気持ち、痛いほどよくわかります。
この記事では、そんなあなたの疑問や不安に寄り添い、「葬式後の塩と身内の関係」について、プロの視点から徹底的に、そしてどこよりも分かりやすく解説していきます。単なるマナーの紹介に留まらず、その背景にある歴史や文化、宗派ごとの深い教えまで掘り下げることで、あなたが心から納得できる答えを見つけるお手伝いをします。
この記事を最後までお読みいただければ、以下のことが明確になります。
- 身内が清めの塩を使う必要がない明確な理由
- 一般会葬者向けの正しいお清めの塩の作法と持ち塩の知識
- 【宗派別】お清めに対する考え方の詳細な違い
- 清めの塩に関するあらゆる疑問への具体的な答え
- 塩だけに頼らない、本当の意味での心のケアの方法
大切な方を偲ぶ時間を穏やかに過ごせるよう、さあ、一緒にその疑問を解消していきましょう。

【結論】葬式後の清めの塩、身内(家族)は基本的に不要です
身内がお清めをしない深い理由
いきなり結論からお伝えします。葬儀を終えた後、故人の身内(ご遺族)は、お清めの塩を使う必要は基本的にありません。
「え、そうなの?」と驚かれたかもしれませんね。多くの人が葬儀=塩で清める、というイメージをお持ちですが、本来の意味を理解すると、この結論にきっとご納得いただけるはずです。
身内が塩を使わない最大の理由は、ご遺族は「清めるべき対象」ではなく、むしろ故人に寄り添い、供養を主導する「清める側」の立場にあるからです。この点について、次の見出しでさらに深く、歴史を遡りながら掘り下げていきましょう。
もちろん、これはあくまで基本的な考え方です。「どうしても気持ちの整理がつかない」「地域の慣習で強く推奨されている」といった場合には、塩を使ってもマナー違反になるわけではありません。大切なのは、その意味を理解した上で、ご自身が心から納得できる方法を選ぶことです。
なぜ身内は清めの塩が不要とされるのか?その深い理由を徹底解剖
「身内は清める対象ではない」という理由を真に理解するためには、「穢れ(けがれ)」という言葉の本当の意味、そしてその考え方が生まれた歴史的背景にまで目を向ける必要があります。少し難しい話に聞こえるかもしれませんが、ここを知ることで、あらゆる迷いが晴れていきます。
そもそも「穢れ(けがれ)」とは何か?その正体は「気枯れ」
死=穢れではない!という大前提
まず、最も重要な大前提として、日本の宗教観、特に仏教において「故人そのもの」や「死」が不浄なもの、穢れたものであるとは考えません。この点は、多くの方が誤解されているポイントです。
仏教では、死は次の世界(浄土)への旅立ちであり、新たなステージへの移行です。決して忌むべきものでも、汚れたものでもないのです。
では、一体何を「清める」というのでしょうか。
お清めの塩が対象とする「穢れ」の語源は、「気枯れ(けがれ)」であると言われています。これは、大切な人を失った深い悲しみや、葬儀という非日常的な出来事に直面したことによるショック、緊張感などによって、心身のエネルギー(気)が枯れてしまった状態を指します。
つまり、お清めとは、不浄な何かを祓うというよりも、弱ってしまった心身の活力を回復させ、日常の平穏な状態へと戻すための儀式という意味合いが強いのです。

お清めの由来は「神道」の死生観と神仏習合の歴史
「死」を直接的に「穢れ」と結びつけ、塩で祓うという習慣は、仏教本来の教えではなく、日本の古来宗教である「神道」の思想に強く由来しています。
神道では、この世のあらゆるものに神が宿ると考え、常に清浄であることを尊びます。その中で「死」は、悲しいことではあるものの、日常の秩序を乱す「異常事態」であり、神聖な領域を脅かす可能性のある「穢れ」の一種と捉えられてきました。これは、日本最古の歴史書である『古事記』で、黄泉の国(死者の世界)から帰還した伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が、海水で身を清めて穢れを祓った(禊祓・みそぎはらえ)という神話にも見ることができます。
この神道の考え方が、奈良時代以降、仏教が日本に広まる過程で、日本の土着の信仰と融合していきます。これを「神仏習合(しんぶつしゅうごう)」と呼びます。
お寺の境内に神社(鎮守社)が建てられたり、神様が仏の仮の姿(権現)とされたりする中で、人々の死生観も混ざり合っていきました。その結果、仏教式のお葬式でありながら、神道的な「死を穢れとみなし、塩で祓う」という習慣が、民間の風習として広く取り入れられるようになったのです。
身内(遺族)が「清める側」であるという解釈
さて、こうした背景を踏まえて、本題の「なぜ身内は不要なのか」に戻りましょう。
- 一般会葬者の立場:葬儀に参列する方々は、一時的に「死」という非日常の場に身を置いた「お客様」です。そのため、それぞれの日常生活に戻る前に、その場で受けた「気枯れ」や邪気を祓い、心身をリセットする必要があります。つまり、会葬者は「清められる側」なのです。
- ご遺族の立場:一方、ご遺族は故人と共に葬儀を執り行い、会葬者を迎える「主催者」です。また、仏教では四十九日の法要まで、故人の魂はこの世に留まり、遺族に寄り添っていると考えられています。その間、故人の供養を続ける中心的な存在がご遺族なのです。
故人に寄り添い、供養を続けるべき立場の遺族が、その死を「穢れ」として自分自身から祓ってしまうのは、「大切な故人を自ら遠ざける」という矛盾した行為になってしまいます。
むしろ、会葬者が受けた「気枯れ」を清めて差し上げる、いわば故人と共に「清める側」の立場にあると解釈するのが自然です。これが、ご遺族が清めの塩を基本的に使わない、最も本質的で、そして優しい理由なのです。
身内でも清めの塩を使った方が良いケースとは?
基本は不要と解説してきましたが、葬儀の形は一つではありません。ご遺族の心情や状況によっては、清めの塩を使うことが一概に間違いとは言えないケースも存在します。
ケース1:どうしても気持ちの切り替えや区切りとして使いたい場合
理論や由来は理解できても、心はそう簡単に割り切れるものではありません。葬儀を終えた虚脱感や深い悲しみの中で、「このままでは心が潰れてしまいそう」「何か儀式的な行為で、一つの区切りをつけたい」と感じることは、人間としてごく自然な感情です。
そのような時に、お清めの塩という儀式が、心のスイッチを切り替える助けになるのであれば、ぜひ行ってください。作法や形式以上に、残されたご遺族の心が少しでも安らぎ、前を向くきっかけを得ることの方が何倍も重要です。
ケース2:地域の慣習や親族間の意向が非常に強い場合
日本は地域性が豊かな国です。場所や旧家によっては、「身内であっても必ず塩で清めるのが当たり前」という慣習が、今なお根強く残っている場合があります。また、ご高齢の親族から「常識を知らないのか」「故人に失礼だ」といった形で、強く行うよう求められることもあるかもしれません。
そのような状況で、本来の教えを盾に慣習を頑なに拒否することが、かえって親族間の不和を生み、故人を偲ぶ場の雰囲気を壊してしまう恐れがあります。故人も、家族が揉めることは決して望んでいないはずです。
こうした場合は、本来の意味を心の中で理解しつつも、その場の調和を優先し、慣習に従うというのも一つの賢明で、思いやりのある判断と言えるでしょう。

ケース3:故人やご自身が神道を信仰している場合
これは例外というより、本来の作法に則ったケースです。前述の通り、お清めの塩は神道の考え方が色濃く反映されたものです。そのため、ご家庭が代々神道を信仰している、あるいは故人の遺志で神式の葬儀である「神葬祭(しんそうさい)」を執り行った場合は、話が別です。
神葬祭では、教義に則り、ご遺族も帰宅後に「手水の儀(ちょうずのぎ)」や塩を用いたお祓いを行うのが正式な作法となります。これは、神聖な自宅や神棚に穢れを持ち込まないための、非常に重要な儀式と位置づけられています。
【宗派別】見解が真っ二つ!お清めの塩への考え方を深く知る
「仏教」と一括りに言っても、その中には様々な宗派があり、「お清めの塩」に対する考え方は驚くほど異なります。特に浄土真宗では、明確に「不要」と断言しています。この違いを知ることは、ご自身の家の作法を自信を持って行う上で、非常に重要な知識となります。
宗派 | 清めの塩に対する考え方 | 【深掘り解説】理由・背景 |
---|---|---|
浄土真宗 (本願寺派・大谷派など) |
明確に不要 | 浄土真宗の教えの根幹には、親鸞聖人が説いた「往生即成仏(おうじょうそくじょうぶつ)」という考えがあります。これは「亡くなった人は、阿弥陀如来の本願力によって、臨終と同時にただちに極楽浄土に往き、仏になる」というものです。そのため、死を不浄なもの、忌むべきものとする「穢れ」という概念自体が存在しません。仏になった故人を穢れとして祓うのは、教えに反する行為となるため、清めの塩は一切用いないのが正式な作法です。 |
曹洞宗・臨済宗 (禅宗系) |
地域や寺院の考え方による | 禅宗は「仏心宗」とも呼ばれ、座禅を通じて自らの内にある仏性を見つめることを重視します。そのため、本来の教義としては外的な儀式である清めの塩を必須とはしません。しかし、日本では民間の風習として定着していることから、これを迷信として頭ごなしに否定するのではなく、人々の心を落ち着かせる方便として容認している寺院が多いのが実情です。「どちらでも良い」という柔軟なスタンスが特徴です。 |
真言宗・天台宗 (密教系) |
慣習として行うことが多い | 密教では、加持祈祷など、現世利益を願うための儀式や呪術的な要素を多く含みます。そのため、邪気を祓い、場を浄化するという「お清め」の概念と親和性が高く、民間の風習として行われることに比較的肯定的です。ただし、これも仏教の必須儀礼というわけではなく、あくまで日本の慣習として受け入れられている形です。 |
日蓮宗 | 地域や寺院の考え方による | 日蓮宗は「法華経」の教えを絶対とする宗派です。浄土真宗ほど明確に塩を否定はしませんが、教義上、積極的に推奨するものでもありません。禅宗と同様に、日本の文化的慣習の一つとして捉え、黙認または容認している場合がほとんどです。 |
神道 | 必須の儀式 | 神道では、死は「穢れ」であり、これを放置すると神域や共同体に禍をもたらすと考えます。そのため、神葬祭の後は神域(自宅や神棚)を清浄に保つため、遺族を含め関係者全員が塩や水で身を清める「祓い」の儀式が不可欠です。これは信仰に基づいた極めて重要な作法です。 |
このように、もしご自身の家の宗派が浄土真宗であれば、身内であるかどうか以前の問題として、お清めの塩は不要とはっきりと理解しておきましょう。葬儀社のスタッフが習慣で塩を渡そうとしても、「うちは浄土真宗ですので」と伝えれば、スムーズに理解してもらえます。
一般会葬者・塩を使いたい方向け|お清めの塩の正しい作法と知識
ここまでは身内の方向けの話が中心でしたが、ご自身が一般会葬者として参列した場合や、身内だけれども様々な理由で塩を使いたい、という方のために、お清めの塩の正しい使い方と関連知識を網羅的に解説します。
玄関前で行うお清めの全手順
お清めは、必ず家の中に入る前、玄関の敷居をまたぐ前に行います。これは、外から持ち帰った可能性のある「気枯れ」や邪気を家の中に持ち込まない、という結界的な意味合いがあるためです。
準備するもの
- 清め塩:通常、会葬御礼の品物と一緒に入っている小さな袋に入った塩です。
- (あればより丁寧)手桶とひしゃく、きれいな水:手や口を清める「手水(ちょうず)」を行うためのものです。ペットボトルに入れた水でも代用できます。
お清めの具体的なステップ
- 家の前(玄関外)に立つ
まず、玄関のドアを開ける前に立ちます。家族など同行者がいる場合は、その人に塩をかけてもらうとより丁寧です。一人の場合は自分で行います。 - 体に塩を振りかける
利き手で塩をひとつまみ取り、以下の順番で体に振りかけます。これはあくまで一般的な作法であり、厳密な決まりではありませんが、覚えておくとスムーズです。- 胸元にかける
- 背中に(肩越しに)振りかける
- 足元(靴の上あたり)にかける
量は本当にごく少量で構いません。これは象徴的な行為ですので、塩を大量にまき散らす必要は全くありません。
- 手で塩を払い落とす
体に振りかけた塩を、手でパンパンと軽く払い落とします。これにより、体に付着した穢れを祓う、という意味になります。 - (可能であれば)手水で清める
もし水が用意できるなら、塩で清めた後に「手水」を行うと、さらに心身が清められます。神社の参拝前に行う手水と同様に、両手を洗い、少量の水で口をすすぎます。これにより、心身ともに清浄な状態になったと実感できます。 - 家の中に入る
すべての一連の儀式が終わったら、静かに家の中に入ります。床に落ちた塩は、そのままにしておくと湿気を吸ったり、金属部分の錆の原因になったりしますので、後でほうきとちりとりで綺麗に掃除しましょう。

知っておきたい「持ち塩」の文化
葬儀の場で渡される塩とは別に、「持ち塩(もちじお)」という文化があるのをご存知でしょうか。これは、お守りのように普段から塩を携帯する習慣のことです。
「持ち塩」とは、小さな袋や容器に清めた塩を入れ、お守りとして持ち歩くものです。葬儀や病院へのお見舞いなど、特に「気枯れ」しやすい場所へ出向く際に、邪気から身を守るために携帯すると言われています。また、嫌なことがあったり、気分がすぐれなかったりした時に、その塩を少し舐めたり、体に振りかけたりして厄を落とす、といった使われ方もします。
葬儀に参列する際に、あらかじめ自分で用意した持ち塩を持参する方もいらっしゃいます。これもまた、古くから伝わる日本の自己防衛の知恵の一つと言えるでしょう。
塩だけに頼らない!遺族のための「心の気枯れ」を癒す5つの方法
ここまで、お清めの塩という「儀式」について詳しく解説してきました。しかし、ご遺族にとって本当に大切なのは、儀式の形式以上に、悲しみや疲労で「気枯れ」した心を、時間をかけて丁寧に癒していくプロセスそのものです。
塩を使う・使わないにかかわらず、ご自身の心を穏やかにし、明日への一歩を踏み出すための具体的な方法を5つ提案します。これは、形式的なマナー解説にはない、故人との繋がりを感じながら心を整えるための、いわば「現代版・魂のお清め」です。
1. 五感で故人を偲ぶ「追憶セラピー」
人の記憶は五感と強く結びついています。玄関で塩をまく代わりに、家の中を故人が愛したもので満たし、五感を通じて在りし日の思い出に浸ってみませんか。
- 【聴覚】好きだった音楽のプレイリストを作る:故人が口ずさんでいた曲、大切にしていたレコードやCDを、スマートフォンのプレイリストにまとめてみましょう。静かに流すことで、部屋の空気が和らぎ、楽しい思い出が蘇ります。
- 【味覚】思い出の味を再現する:「お母さんの肉じゃが」「おじいちゃんが淹れてくれたコーヒー」など、故人との思い出が詰まった料理やお茶を、家族で一緒に作って味わってみてください。それは何よりの供養であり、生きる力を与えてくれる食事になります。
- 【嗅覚】愛した香りに包まれる:故人が好きだった花の香り、愛用していた香水や石鹸の香り。それらを部屋に置くことで、まるで故人がそばにいるかのような安心感に包まれることがあります。
2. 「思い出語り」で悲しみを分かち合う
葬儀の慌ただしさの中では、ゆっくり故人を偲ぶ時間もなかったかもしれません。家族や親しい友人と食卓を囲み、故人の思い出話を存分に語り合ってみてください。「あの時、あんなことを言って笑わせてくれた」「こんな失敗談もあったよね」と語り合ううちに、悲しみは少しずつ温かい思い出へと昇華されていきます。涙と笑いを分かち合うことは、最高のグリーフケア(悲しみを癒す作業)です。
3. 手紙を書く「グリーフライティング」
心の中に溜まった、故人への感謝、後悔、言えなかった言葉。それらを、手紙に書き出してみませんか。誰かに見せる必要はありません。ただ、あなたの素直な気持ちを綴るのです。「ありがとう」「ごめんね」「大好きだよ」。言葉にすることで、感情が整理され、心が不思議と軽くなる効果があります。書いた手紙は、仏壇に供えたり、お焚き上げをしてもらったりすると良いでしょう。
4. 故人の写真や遺品を整理する
すぐに遺品整理をするのは辛いかもしれませんが、少し落ち着いたら、故人のアルバムを開いたり、愛用していた品に触れたりする時間を作ってみてください。一つひとつの品に宿る思い出を感じながら、大切に残すもの、形見分けするものなどをゆっくり選んでいく作業は、故人との対話の時間にもなります。これは、故人の生きた証を再確認し、感謝と共に別れを受け入れていくための大切なプロセスです。
5. 自然の中に身を置き、生命力を感じる
「気枯れ」の状態から回復するには、生命力に満ちた場所に身を置くことも有効です。少し気分が良い日には、近所の公園を散歩したり、木々の緑を眺めたり、川のせせらぎに耳を傾けたりしてみてください。太陽の光を浴び、風を感じ、土の匂いを嗅ぐ。自然の大きなサイクルに触れることで、私たちの心と体もまた、少しずつ活力を取り戻していきます。
これらの方法は、特定の宗派や形式に縛られるものではありません。ご遺族が故人を想い、ご自身のペースで心を整えていくための、具体的な処方箋です。ぜひ、一つでも試してみてください。
葬式後の塩に関するあらゆる疑問を解決するQ&A
最後に、お清めの塩に関して、多くの方が抱く細かな疑問や、今さら人には聞きづらいことについて、Q&A形式で網羅的にお答えします。
Q1. 清めの塩は食塩でも代用できますか?違いは何ですか?
A1. 結論から言うと、緊急時や手元にない場合は家庭用の食塩で代用しても構いません。ただし、本来は「粗塩(あらじお)」が望ましいとされています。その違いは精製度にあります。食塩は塩化ナトリウムの純度が高くサラサラしていますが、粗塩は海水から水分を蒸発させただけで、ミネラル分を豊富に含んでいます。神道では、自然の力が宿るこの粗塩が神聖なもの(神饌)として扱われるため、お清めにも用いられるのです。気持ちの問題が大きいですが、可能であれば粗塩を用意するとより丁寧です。
Q2. 余った清め塩はどうすればいいですか?料理に使ってはいけませんか?
A2. 清めの塩は、あくまで穢れを祓うという目的で頂いたものですので、口に入れるものである料理に使うのは避けるのがマナーです。縁起が悪いというわけではありませんが、気持ちの良いものではありません。余った場合は、以下のいずれかの方法で適切に処分しましょう。
- 白い半紙などに包み、感謝の気持ちを込めて、可燃ごみとして捨てる。
- 自宅の庭やプランターの土に少量まいて自然に還す。
- キッチンのシンクや排水溝に流し、水で清めるイメージで処分する。
Q3. 喪主や施主だけでなく、他の家族(子供や孫)もお清めは不要ですか?
A3. はい、喪主や施主だけでなく、故人と同居していた家族、生計を共にしていた家族は皆「身内」と見なされるため、基本的にお清めは不要です。子供や孫であっても、故人を見送る「主催者側」の一員であることに変わりはありません。
Q4. お通夜の後に帰宅する際も、お清めの塩は必要ですか?
A4. 一般会葬者の場合、お通夜にのみ参列して帰宅する際も、告別式と同様にお清めをするのが一般的です。葬儀場によっては、お通夜の帰り際に清め塩を渡されることもあります。ご遺族の場合は、これまで説明してきた通り、お通夜の後でも告別式の後でも、基本的にお清めは不要です。
Q5. 葬儀を手伝ってくれた親戚や友人は、お清めをするべきですか?
A5. これは少し判断が分かれるところですが、一般的にはお清めをする方が丁寧とされています。たとえ親しい間柄であっても、受付を手伝ったり、案内係をしたりした場合、立場としては「お手伝いに来てくれた会葬者」に近いからです。葬儀を終えて、それぞれの日常に戻るという意味で、お清めをしてもらうのが良いでしょう。
Q6. 車で葬儀に参列した場合、車もお清めした方がいいですか?
A6. 霊柩車や火葬場へ向かうマイクロバスなどに同乗した場合、気になる方は車のお清めをすることもあります。その場合、4つのタイヤにそれぞれ塩を少量振りかけ、清めるという方法が取られます。塩分は車の金属部分を錆びさせる原因にもなるため、後で軽く水をかけて洗い流すか、拭き取ると良いでしょう。これも必須の作法ではありません。
Q7. ペットがいる場合、塩を使う際に注意することは?
A7. これは非常に重要な注意点です。犬や猫が床に落ちた塩を舐めてしまうと、塩分過多で健康を害する危険性があります。ペットがいるご家庭では、塩を使う場合はペットが絶対に近づかないようにケージに入れるなどの対策をし、まいたら間髪入れずに掃除をしてください。安全を最優先に考え、そもそも塩を使わない、という選択をするのが最も賢明です。
まとめ
今回は、「葬式後の塩は身内も必要なのか」という、多くの方が抱く素朴ながらも深い疑問について、その結論から歴史的背景、宗派による考え方の違い、具体的な作法、そして心のケアに至るまで、多角的に、そして徹底的に解説してきました。
最後に、この記事でお伝えした最も重要なエッセンスを、もう一度一緒に確認しましょう。
- 結論:故人の身内(遺族)は、故人に寄り添う「主催者側」であるため、お清めの塩を基本的に使う必要はありません。
- 「穢れ」の正体:死そのものではなく、非日常に触れたことによる「気枯れ(心身のエネルギー低下)」を指す、というのが本来の意味です。
- 由来:塩で清める習慣は、仏教本来のものではなく、神道の死生観が民間の風習として定着したものです。
- 宗派による違い:特に浄土真宗では「往生即成仏」の教えから、穢れの概念がなく、清めの塩は明確に不要とされています。
- 正しい作法:一般会葬者などが塩を使う場合は、必ず玄関の外で、「胸→背中→足元」の順に振りかけ、手で払い落とします。
- 本当の癒し:儀式以上に、故人を偲び、家族と語り合い、ご自身の心を労わる時間を持つことが、何よりの「お清め」であり、グリーフケアに繋がります。
葬儀後の作法には、一つひとつに先人たちの想いや知恵が込められています。その意味を理解することは、文化を継承する上でとても大切です。しかし、その形式に心を縛られ、かえって疲弊してしまっては元も子もありません。
最も尊いのは、故人を敬い、心から偲ぶあなたのお気持ちです。そして、残されたご家族が、深い悲しみの中から少しずつ力を得て、穏やかな日常を取り戻していくことです。
この記事が、あなたの長年の疑問を解消し、不安な心を少しでも軽くするための一助となれたなら、これ以上の喜びはありません。大変な時期が続くかと存じますが、どうぞご自分を責めたり、無理をなさったりすることなく、ご自身の心と体を一番に大切にしてください。
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