厳粛な雰囲気のなかで行われる葬儀や告別式。無事に故人様をお見送りし、自宅に戻ってきた瞬間、「あ、清めの塩を忘れてしまった…」と、血の気が引くような思いをされたのではないでしょうか。
「何か悪いことが起こるのではないか」「故人様に対して大変失礼なことをしてしまったのでは」――。慣れない儀式の後だからこそ、一つの作法の抜け漏れが、大きな不安や後悔となって心にのしかかってくるお気持ち、痛いほどよく分かります。
ですが、どうかご安心ください。結論から申し上げますと、葬式後に塩で清めるのを忘れてしまっても、全く何の問題もありません。
この記事は、単に「大丈夫ですよ」と伝えるだけではありません。長年、葬送文化に触れてきた書き手として、あなたが抱える漠然とした不安の根源を解きほぐし、心から納得していただくことを目指します。
- なぜ「塩を忘れても問題ない」と断言できるのか、その宗教的・文化的な背景
- そもそも「清めの塩」が持つ本当の意味と、知られざる歴史的由来
- どうしても気になる方向けの、後からでもできる正しい対処法と作法の全て
- 使わなかった塩の処分方法からマンションでの作法まで、あらゆる疑問を解消するQ&A
- 塩以上に大切な、葬儀後の心と体のケア、そして故人様と向き合う時間
この記事を読み終える頃には、清めの塩に対する正しい知識が身につき、形式的な作法に振り回される必要がないことを深くご理解いただけるはずです。そして、最も大切な「故人を偲ぶ心」に、穏やかに立ち返ることができるでしょう。さあ、一緒にその不安を解消していきましょう。

葬式後に塩を忘れても大丈夫!焦らないでください
繰り返しになりますが、これが最も重要な事実です。葬儀の後に清めの塩を使うのを忘れても、決してご自身を責めたり、不安に思ったりする必要はありません。バチが当たったり、不吉な出来事が起きたりすることは絶対にありませんので、まずは大きく深呼吸をして、心を落ち着けてください。
塩を忘れても問題ない、その本当の理由
なぜ、あれほど日本の葬儀における「常識」のように思われている清めの塩を忘れても、全く問題ないのでしょうか。その理由は、この風習が持つ特異な成り立ちにあります。
「死」を不浄なもの、つまり「穢れ(けがれ)」とみなし、それを塩によって祓い清める、という思想は、日本古来の宗教である神道に由来するものです。神道では、神様は清浄を尊び、穢れを嫌うと考えられています。そのため、死という非日常的な出来事(これを「気枯れ」=生命エネルギーが枯れた状態、と捉えます)に接した後は、神聖な場所である自宅や神社にその気を持ち込まないよう、身を清める必要があったのです。
一方で、日本の葬儀の大多数を占める仏式において、仏教では「死」を穢れとは考えません。仏教の教えにおいて、死は苦しみの世界からの解放であり、輪廻転生という大きなサイクルの一部、あるいは故人が仏様のもと(浄土)へ旅立つ尊いプロセスと捉えられます。したがって、本来の仏教の教義には「塩で穢れを清める」という発想自体が存在しないのです。
つまり、現在、多くの葬儀で行われている「清めの塩」は、神道の考え方と仏教の儀式が、長い日本の歴史の中で混ざり合った「神仏習合」の産物であり、日本独自の文化的慣習なのです。宗教的に絶対的な義務や、守らなければならない厳格なルールではないため、それを忘れたからといって何ら問題は生じない、というわけです。
最も大切なのは故人を悼む気持ち
一連の葬儀儀礼において、最も尊ばれるべき核心は何でしょうか。それは、数々の複雑な作法を一つも間違えずに完璧に遂行することではありません。言うまでもなく、故人様への感謝の気持ちを胸に、その安らかな旅立ちを心から祈ること、この一点に尽きます。
清めの塩を忘れたことを気にして、不安や自己嫌悪の念に苛まれる時間は、あまりにもったいないものです。その時間があるならば、故人様との楽しかった日々に思いを馳せたり、悲しみに暮れるご遺族の心にそっと寄り添ったりする方が、故人様にとっても、あなた自身にとっても、遥かに有意義で価値のある時間となります。
作法は、あくまで故人様を敬う気持ちを表現するための「型」の一つに過ぎません。その本質さえ見失わなければ、型を少し違えたところで、あなたの真心が損なわれることは決してありません。あなたが心を込めてお見送りしたのであれば、塩のことなど、故人様は少しも気にしていないはずです。
なぜ葬式後に塩で清めるの?その意味と由来を徹底解説
「忘れても大丈夫」という事実はご理解いただけたかと思います。しかし、それでもなお「では、なぜこんなにも塩で清める風習が根付いているのか?」という知的な好奇心や疑問が湧いてくることでしょう。この背景を深く知ることで、より一層納得感が増し、漠然とした不安から完全に解放されるはずです。
清めの塩の由来は神道の「穢れ」思想
前述の通り、清めの塩の起源は神道にあります。神道における「穢れ」とは、現代人がイメージするような「汚い」「不潔」といった物理的な汚れとは少しニュアンスが異なります。
神道でいう穢れとは、「気枯れ」、つまり生命力(気)が枯渇した状態や、日常の秩序が乱れた状態を指します。死だけでなく、出産や月経、犯罪なども穢れの一種と見なされてきました。これは、それ自体が悪であるという意味ではなく、神様と接する神聖な場においては、日常の平穏な状態(ケ)に戻すための「禊祓(みそぎはらえ)」が必要だ、という考え方なのです。
では、なぜ「塩」がその禊祓に用いられるのでしょうか。その最も有名な根拠は、日本の神話が記された『古事記』にあります。
妻であるイザナミノミコトを亡くしたイザナギノミコトは、彼女を追って黄泉の国(死者の世界)へと向かいます。しかし、そこで変わり果てた妻の姿を見てしまい、恐ろしくなって地上へと逃げ帰ります。そして、黄泉の国の穢れを身から祓うために、「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原」という場所で、海水に浸かって体を洗い清めました。
この神話から、海水、すなわち「塩」には、穢れを祓い、心身を清浄な状態に戻す強力な霊力があると信じられるようになり、神事や宮中行事、そして死にまつわる儀式において、清めの道具として塩が用いられる伝統が確立したのです。また、塩には科学的に見ても腐敗を防ぐ効果や殺菌作用があるため、そうした物理的な性質が「清める」という精神的なイメージと結びついた側面もあるでしょう。

仏教では本来必要ない?宗派による考え方の違い
日本で行われる葬儀の実に9割が仏式であるにも関わらず、神道由来の慣習が広く浸透しているのは、歴史的な「神仏習合」の影響が大きいと述べました。しかし、仏教の中でも宗派によって清めの塩に対するスタンスは明確に異なり、これを知ることは非常に重要です。
【明確に不要とする宗派】浄土真宗の場合
仏教宗派の中でも、浄土真宗(本願寺派、大谷派など)は、清めの塩を明確に「不要」なものとしています。これは、浄土真宗の教義の根幹に関わる問題だからです。
浄土真宗では、「往生即成仏(おうじょうそくじょうぶつ)」という教えがあります。これは、信心を持って念仏を称えた者は、亡くなると同時に阿弥陀如来の力によって極楽浄土に往き、即座に仏になる、という考え方です。死は穢れなどではなく、仏となるための尊いプロセスであり、むしろ喜ばしい世界への旅立ちと捉えます。
そのため、死を穢れと見なして塩で清める行為は、故人が仏になったことを否定し、阿弥陀如来の救いを疑うことにも繋がりかねないため、教義に反するとされるのです。この理由から、浄土真宗の葬儀では、受付で清めの塩が渡されなかったり、会葬礼状に同封されていなかったりするのが通例です。これは決して手配ミスや忘れ物ではなく、宗派の教えを尊重した結果なのです。
【慣習として容認する宗派】多くの宗派
浄土真宗以外の多くの宗派(天台宗、真言宗、浄土宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗など)では、清めの塩に対してより柔軟な姿勢を取っています。
これらの宗派も、もちろん仏教の教えとして「死は穢れではない」という基本スタンスは同じです。しかし、神道の影響が色濃い日本の土壌で布教する中で、古くからの風習や、一般の人々の「気持ちの上で区切りをつけたい」という感情を無視することはできませんでした。
結果として、「仏教の教義とは直接関係ないが、日本の慣習として行いたいのであれば、それを妨げるものではない」というスタンスで容認している場合がほとんどです。つまり、宗教的な儀式というよりも、世俗的な習慣として扱われているのです。
以下の表で、主要な宗教・宗派の考え方を改めて整理します。
宗教・宗派 | 死の捉え方 | 清めの塩に対する考え方 | ポイント |
---|---|---|---|
神道 | 穢れ(気枯れ) | 必要不可欠な儀式。 | 神話に由来する本来の形。神聖な場に穢れを持ち込まないために行う。 |
仏教(浄土真宗) | 穢れではない(往生即成仏) | 明確に不要。 | 死を穢れと見なすこと自体が教義に反するため、塩は用いない。 |
仏教(その他多くの宗派) | 穢れではない | 慣習として容認。 | 宗教的義務ではないが、人々の気持ちに配慮し、風習として行われることを黙認。 |
キリスト教 | 穢れではない(神のもとへ召される) | 全く用いない。 | 死を「神に祝福された永遠の命の始まり」と捉えるため、「穢れ」の概念が存在しない。 |
葬式後に塩を忘れた場合の具体的な対処法
「理屈では忘れても平気だと分かった。でも、やはり家族や親戚の手前もあるし、何より自分の気持ちが落ち着かないから、けじめとしてやっておきたい」――。そうお感じになる方も、もちろんいらっしゃるでしょう。そのお気持ちは非常に自然なものであり、尊重されるべきです。
ご安心ください。清めの塩は、忘れてしまった後からでも、正しい方法で行うことが可能です。ここでは、その具体的な手順を、誰でもできるように分かりやすく解説します。
自宅にある塩を使っても良い?
葬儀場でいただく小袋に入った「清めの塩」が手元にない場合、ご自宅にある塩で代用して全く問題ありません。「葬儀場で配られたものでないと効果がない」ということは一切ありませんので、わざわざ葬儀社に連絡したり、取りに戻ったりする必要はありません。
食塩でも代用可能か
結論から言えば、食卓塩(精製塩)でも代用は可能です。最も重要なのは、塩という物質そのもののグレードではなく、それを用いて「清める」という行為と、そこに込める気持ちだからです。
ただし、もしご自宅に複数の種類の塩があったり、これから購入したりする場合には、より望ましいとされる塩があります。それは「粗塩(あらじお)」または「天然塩」です。
- 推奨される塩:粗塩(天然塩)
海水から水分を蒸発させただけの、自然に近い状態の塩です。精製塩と違い、マグネシウムやカルシウムなどのミネラル分(通称:にがり)を豊富に含んでいます。神道では、この自然の力が凝縮された塩の方が、より強い浄化の力を持つと考えられているため、神事などでは一般的に粗塩が用いられます。スーパーの塩売り場で手軽に入手できます。 - 代用可能な塩:食卓塩(精製塩)
塩化ナトリウムの純度が高い塩です。手元にこれしかない場合は、気にせずこちらを使いましょう。
後からでもできる!清めの塩の正しいやり方(作法)
それでは、具体的な作法をステップ・バイ・ステップで見ていきましょう。本来は家に入る前に行いますが、忘れて家に入ってしまった後でも、玄関に戻って行えば問題ありません。
-
玄関のドアを開ける前(または玄関の土間)に立つ
まず、家の敷居をまたぐ手前、玄関ドアの前で立ち止まります。すでに家に入ってしまった場合は、玄関まで戻り、靴を履いたまま土間の部分に立ちます。同行者がいる場合は、家長や代表者が先に行うか、一人ひとり順番に行います。
-
塩をひとつまみ取る
小皿などに用意した塩を、利き手の親指と人差し指、中指の三本で軽くひとつまみ取ります。量は多くなくて構いません。米粒で10粒程度の、ごく少量で十分です。
-
胸元 → 背中 → 足元の順番に振りかける
以下の順番で、体に塩を軽く振りかけるようにします。勢いよく投げつけるのではなく、あくまで自分の身に付いたとされる気を「祓う」イメージで、パラパラと優しく行いましょう。
- ① 胸元に:まず、自身の胸元あたりに塩を軽く振りかけます。
- ② 背中に:次に、左肩越しに、背中をめがけて塩を振りかけます。誰かに手伝ってもらえる場合は、背中に直接かけてもらうのが丁寧ですが、一人の場合は肩越しで全く問題ありません。
- ③ 足元に:最後に、手元に残った塩を、自分の足元に落とします。
※順番には諸説あり、「左→右→左」や「胸だけ」など地域や家によって様々です。ここで紹介したのは最も一般的とされる一例ですので、厳密に考えすぎる必要はありません。
-
手で体を払い、足元の塩を踏んでから家に入る
塩を振りかけ終わったら、手で服についた塩を軽くはたきます。そして、足元に落ちた塩を自分の靴で軽く踏みつけてから、敷居をまたいで家の中に入ります。これで一連の儀式は完了です。

清めの塩に関するよくある質問(Q&A)
ここでは、清めの塩に関して、さらに多くの人が抱きがちな細かい疑問について、Q&A形式で網羅的にお答えしていきます。
Q1. 使わなかった清めの塩はどうすればいい?正しい捨て方は?
葬儀場でいただいたものの、使わずに残ってしまった清めの塩の扱いは意外と迷うものです。
A. 料理には使わず、感謝して丁寧に処分しましょう。
【絶対にやってはいけないこと】
食用にすること:「清め」という特殊な目的で用意されたものであり、食品としての衛生管理はされていません。絶対に料理などに使うのはやめてください。
【推奨される捨て方】
最も丁寧な方法は、自然に還すことです。
- 白い紙に包む:塩をティッシュペーパーや半紙などの白い紙に包みます。
- 感謝を込める:「お役目、ありがとうございました」と心の中で感謝を伝えます。
- 処分する:
- 理想的な方法:川や海に流す、あるいは自宅の庭の土に撒くなど、自然に還すのが最も良いとされます。ただし、環境への配慮から少量に留めましょう。
- 現実的な方法:生ゴミなどとは別の袋に入れ、他のゴミとは分けてゴミの日に出すのが丁寧な対応です。自治体のルールに従いましょう。
重要なのは、神聖な役割を担ってくれたものとして、敬意と感謝の気持ちを持って手放すことです。
Q2. 賃貸マンションやアパートの場合、どうすればいい?
集合住宅の場合、共用廊下やエントランスで塩を撒くと、ご近所の目が気になったり、床を汚してしまったりする懸念があります。
A. 玄関の内側の土間で行い、すぐに片付ければ問題ありません。
無理に玄関の外で行う必要はありません。玄関ドアの内側、靴を脱ぎ履きする土間(たたき)の部分で、最小限の量の塩を使って行いましょう。塩が飛び散らないように注意し、儀式が終わったらすぐにほうきとちりとりで綺麗に掃き取ります。片付けた塩は、Q1で解説した方法で処分してください。「清める」という行為自体が目的なので、周囲に配慮して場所や方法を柔軟に工夫することが大切です。
Q3. 葬式に行っていない家族や留守番していた人も塩は必要?
葬儀に参列したのは自分だけで、家族は家にいた、というケースも多いでしょう。
A. 原則として、葬儀や火葬に直接参列した人のみで大丈夫です。
清めの塩は、あくまで「死の気」に直接触れたとされる人が、それを日常空間に持ち込まないための儀式です。そのため、自宅で待っていた家族など、葬儀の場に行っていない人は清めを行う必要はありません。ただし、地域の慣習やご家庭の考え方で「念のため家族全員で」という場合もありますので、その場合は慣習に従うのがスムーズです。これも厳格なルールではありません。
Q4. お通夜の後にも清めの塩は必要ですか?
お通夜と告別式の両方に参列する場合の作法も気になるところです。
A. 基本的には、それぞれの儀式から帰宅する度に行います。
お通夜も告別式も、故人様と向き合う非日常の場であることに変わりはありません。そのため、お通夜から帰宅した際と、翌日の葬儀・火葬から帰宅した際の、両方で行うのがより丁寧な作法とされています。もし塩を一つしかいただいていない場合は、自宅の塩を代用するか、葬儀・火葬の後の一度だけでも問題ありません。これも気持ちの問題なので、ご自身の判断で大丈夫です。
Q5. 清めの塩と盛り塩の違いは何ですか?
同じ「塩」ですが、その目的と使い方は全く異なります。
A. 「清めの塩」は人を清めるもの、「盛り塩」は場を清めるものです。
- 清めの塩:葬儀に参列した「人」に付いたとされる穢れを、その場で祓うためのもの。一回限りの使い切りです。
- 盛り塩:玄関や水回りなどの「場所」に盛り、その空間を清浄に保ち、邪気を払い、良い運気を呼び込むためのもの。常設のお守りのような役割です。
葬儀でもらった清めの塩を、盛り塩として使うのは避けましょう。役割が異なるため、盛り塩には新しい粗塩を使うのが基本です。
塩以上に大切!葬儀後の過ごし方と心身のケア
清めの塩に関するあらゆる疑問が解消された今、最後に最もお伝えしたいことがあります。それは、形式的な作法以上に、ご自身の心と体を大切にしてほしい、ということです。葬儀を終えた後は、あなたが思っている以上に、心身は大きな影響を受けています。
忌中・喪中の過ごし方で本当に気をつけるべきこと
葬儀後、故人を偲び身を慎む期間として「忌中(きちゅう)」と「喪中(もちゅう)」があります。
- 忌中:故人が亡くなってから49日間(仏式)または50日間(神式)。死の穢れがまだ身近にあるとされる期間で、外部との接触をなるべく避け、故人の冥福を祈ることに専念します。
- 喪中:故人が亡くなってから約1年間。忌中ほどの厳しい制約はありませんが、故人を偲ぶ気持ちで静かに過ごす期間です。
この期間中、一般的に結婚式への出席や神社への参拝、お正月のお祝い(年賀状など)は控えるべきとされています。しかし、これらの慣習の根底にあるのは「お祝いムードに水を差さないための社会的な配慮」と「自分自身の心を静かに保つための期間」という二つの側面です。やってはいけない、と自分を縛り付けるのではなく、なぜそうするのかという本質を理解することが大切です。
見過ごしがちな「葬儀後の体調不良」とグリーフケア
「葬儀が終わってから、なんだか体がだるい」「集中力がなく、眠れない」――。このような体調不良を感じたとき、「塩を忘れたせいでは…」と結びつけてしまう方がいますが、それは違います。その不調は、葬儀という非日常的な出来事がもたらした、心身の疲労のサインです。
無理をしない、悲しみに蓋をしない
大切な人を失った悲しみや喪失感は、そう簡単に消えるものではありません。葬儀を終えて慌ただしい日々が一段落した途端、深い悲しみがどっと押し寄せてきたり、逆に何も感じられなくなったりすることがあります。これは「グリーフ(Grief:悲嘆)」と呼ばれる、ごく自然で正常な心の反応です。
無理に元気に振る舞ったり、悲しい気持ちに蓋をしたりする必要は全くありません。泣きたいときには泣き、休みたいときには休む。それが、今のあなたにとって最も必要なことです。食事や睡眠をしっかりとり、自分自身を最大限に労ってあげてください。
誰かに話すこと、思い出を語ること
一人で悲しみを抱え込むのは非常につらいことです。信頼できる家族や友人に、今の素直な気持ちを話してみましょう。「つらい」「悲しい」と口に出すだけでも、心は少し軽くなります。また、故人様との楽しかった思い出を語り合うことは、最高のグリーフケアになります。
清めの塩という一つの作法に心を囚われるのではなく、どうかあなたのその心をケアすることに意識を向けてください。それこそが、故人様が一番に望んでいることに違いありません。
まとめ
ここまで長い時間お付き合いいただき、ありがとうございました。「葬式後に塩を忘れた」という一点の不安から始まったこの記事ですが、清めの塩の本当の意味から、忘れても全く問題ない理由、そして塩以上に大切な心のあり方まで、ご理解が深まったのであれば幸いです。
最後に、この記事でお伝えした最も重要なエッセンスを、もう一度確認しましょう。
- 葬式後に塩を忘れても、全く気にする必要はありません。あなたやご家族に、悪いことや不吉なことが起こることは絶対にありません。
- 清めの塩は神道の「穢れ」思想が由来であり、大多数の葬儀が執り行われる仏教(特に浄土真宗)では本来不要な慣習です。
- どうしても気持ちの整理として行いたい場合は、自宅の塩(粗塩が望ましい)を使い、後から正しい作法で行えば十分です。
- 葬儀において何よりも尊いのは、形式的な作法ではなく、故人様を心から悼み、感謝し、偲ぶ、あなたのその「気持ち」です。
- 作法のことよりも、葬儀を終えたご自身の心と体のケアを最優先してください。無理せず、自分を労わる時間を大切にすることが、故人様への何よりの供養となります。
清めの塩は、あくまで非日常から日常へと戻るための「心のスイッチ」のようなもの。その本質さえ理解すれば、忘れたことへの不安や罪悪感は、もうあなたの心にはないはずです。
どうか形式に心を縛られることなく、故人様と過ごした温かな日々の思い出を胸に、穏やかな心であなたの日常を歩んでいってください。この記事が、あなたの心の重荷を少しでも軽くする一助となったことを、心から願っております。
【関連記事】
- 女性のお葬式の靴、ローファーはOK?正しい選び方とマナー解説
- 葬式後の塩は身内も必要?【結論】不要な理由と正しい作法を解説
- 葬式の夢が示すスピリチュアルな意味とは?人生の転機を告げる吉夢?
- 葬式のネクタイに100均はあり?緊急時に役立つ情報とマナー
- 葬式でネイルを隠すなら手袋が正解?マナーと隠し方を徹底解説
【参考資料】